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コモ湖畔の書斎から2 dalla finestra lariana2

2017 08 02 肉屋
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EPSON R-D1xNOKTON40mmF1.4
肉屋に行った。毎週の行事になったようなローストビーフ用の肉と,犬のレオのためのbiancostato牛肉のともばらを買う為に。キロ当たり500円もしないトモバラが無い。来週火曜までこないという。さてどうしたものか。まあ、キロ300円の鶏肉にしておこう、と考えているうちに、いつもあんなに愛想の悪い肉屋のおっさんが,「犬にやるのか、じゃあ肩肉をともばらの値段にしてやるから持っていけ」という。いくらイタリアは肉が安いとはいえ肩肉はそれでもキロ1000円くらいはするから、なんか儲かったような気になって大きな塊,2つ買って来た。さて困った。いざレオにあげるとなると、突如この肩肉は1000円の価値を持ち出してなんとなく勿体ない気がする。人間様が食べるべき肉を,犬にあげるのは、どこか申し訳ないような気さえしてくる。肉の質とか味なんとかじゃないくて「価格=価値」という回路が頭のなかに自動的に出来上がってしまっていて、味覚も「金」に縛られてしまっているかと思うとなさけない。木箱入り6000円メロンの価値を脳みそに植え付けられた自分としては、今日150円で買って来たメロンはやっぱり6000円分の「価値」があるのであって、日本人の自分は随分得をするのだけれども、イタリア人はメロンを100円で買って来ても全然得をしない。
でも子供のころマグロの刺身を頻繁に食べて育ってきた自分には,どう考えてもトロよりも赤身のほうが、マグロの味がして「美味しく」、専門家の方もそう言っていたので,マグロに関してはまだ「金」に洗脳されていないかと少し安心する。「味覚」などという生理的な感性が「値段」に従縛されるのは忌々しい。
そう考えてみれば「値段」に従縛されているのは、味覚だけではない。様々な、言ってみれば生活の中のほとんどの事が「金銭的な価値」と混同してしまっている。高い服を着れば何となくキチンとしているような気がするし,市で買った100円のTシャツを着ていれば,そのような人になる。酷いのは貯まったマイルで飛行機のビジネスクラスに乗るとまるで庶民とは一線を画した「人格者」になった気になる。中身はエコノミーで旅する自分と何ら変わらないのに。
でもマグロの本当の美味しさを味わう為には,つまり生活を本当に豊かにするためには、「金銭的な価値」の従縛から自由になって、素の自分に向き合うことだと思う。
などというのは、結局自分のような「庶民」の戯言で、マグロはトロ、肉は和牛しか食べないという方は、きっと本当に素晴らしい人生を送っているのだろう。

















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by kimiyasuII | 2017-07-30 14:39 | Comments(4)
Commented by mobulamobular at 2017-08-03 06:41
ブラボー hakushu。
Commented by funicolare at 2017-08-03 08:10
kimiyasuさんの意見に、全くもって従縛されました。
Commented by kimiyasuII at 2017-08-05 13:26
mobulamobularさんへ、東京で一度お客様に招待され寿司屋に行ったのですがご親切にもトロだけ20貫ほど頼んで頂いて,涙がでてしまいました。安いイカ蛸ゆでエビ卵焼き,がかなり好きなんですけど。
Commented by kimiyasuII at 2017-08-05 13:28
funicolareさんへ、メロン、葡萄,モモのように日本ではまるで宝石のように売られているモノがこちらでは石ころのように売られたりして、最近食べ物だけでなく、ああ安い高いと一喜一憂するのが馬鹿らしくなってしまいました。