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イタリア

コモ湖畔の書斎から2 dalla finestra lariana2

2018 11 20 秋、干し柿、だな
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# by kimiyasuII | 2018-11-20 05:07 | Comments(0)
2018 11 18 いつもの
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毎月第三日曜日には、コモの城壁沿いに骨董市、古物市がでる。何かなければ出かけていく。立派な価値ある骨董を買う訳じゃあないけれども、丹念にみていけば時々面白いものや綺麗なもの、形を扱う仕事をしている自分には興味のあるものが見つかる。今回見つけたのは、1940,50年台と思われるオリーブ色のテーブルスタンド、取り手に綺麗な装飾が施されたハサミ、形が何ともプロフェッショナルなバリカン、そして何に利用されていたのか分からないけれども鉄の万力。歳をとって「物欲」が無くなったなんていながらも、こうして何か買わずにはいられない。まあ、良いか。















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# by kimiyasuII | 2018-11-19 14:21 | Comments(0)
2018 11 17 光
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昔は理解していたつもりだけれども、どうして、真空のはずなのに宇宙空間を電波は伝わるのだろうかと、ふと思ってしまった。波なのだから、媒介する物質がなければ、例えば海なら海水のように、なんらかの物質がなければ波がおきないのではないか。ネットをふらつけばいろんな言葉が出現して、うる覚えに昔勉強したさまざまな物理の概念が頭に浮かんできた。電磁場って、なんなのさ。何も力を媒介するものがなくても、どうして同じ電荷をもった粒子は斥力が働くのか考えてみれば不思議だ。まさかテレパシーで、あっちへ動いちゃおうなんてことじゃないし。まあ、ともかく最終的には、電波問題は、光子という、質量をもたない素粒子という、訳のわからない物理的実存で納得しろという事になるのだろうけれども、今更、ファラデーやらボーアやら、アインシュタインやらシュレーディンガーに登場してもらうには、頭が硬化し過ぎている。
それにしても日中、思いもがけない自然光を家の中、玄関で発見して、これこそ美しい物理的実存と納得して、思わずどこに置いたか忘れたカメラを探しに行ってしまった。
























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# by kimiyasuII | 2018-11-19 07:20 | Comments(0)
2018 11 14 トメさん
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作りかけの木馬には、トメさんが乗っている。でもトメさんは透明人間だから普通の人には見えない。トメさんが見えるのはブログ管理人の私と、日本からやってきた4歳のニコちゃん(女子)だけだ。ニコちゃんはトメさんのために木馬を揺らしてやったら、不器用なトメさんは落馬して、「あイタタタァ」と言った。

















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# by kimiyasuII | 2018-11-14 15:36 | Comments(0)
2018 11 12 ワイシャツ、または時間
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若い、といっても20年前にハタチだったからそんなに若くはないけれども、彼女と夢、将来の夢について話をしていた。まあ、この歳になって話題にするような事じゃあないけど、どこからかどんな夢をもっているかという話題になった。それも実現することのない夢。自分は、もう物欲も大分削げ落ちてしまい、フェラーリがほしいわけでも、ライカのカメラがほしい訳でもなく、できれば語学能力が欲しいといった。ドイツ語もフランス語も中国語も、英語ももしペラペラと話すことができたらどんなにか生活が「豊か」になるか、なんせ情報量がわかる言葉の分だけ、倍増していくのだからこんなに刺激的なことはない。旅行に行ったって、現地の人と自由に話ができたらどれほど面白いだろうと思う。それで「若い」彼女は何が夢かと言えば、時間だという。つまり時間が今の二倍あったらどんなに良いだろうと。いろんなやりたいことが、何でもできると言う。え、そんなに忙しい生活をしているようには見えないけど、、と思ったけれども歳の功で、口にはださなかった。
まあ、一国の首相とか、そういう人は確かに時間がなくて「自分の好きなこと」をする時間がないかもしれないけれども、結構ゴルフなんかもするくらいだから、意外と時間はあるみたいだ。普通の生活をしている彼女が「時間がない」というのもどこかおかしい。でも忙しくて時間がない、というせりふは彼女だけでなくよく耳にする。暇で何をしていいかわからないということはあまり聞かない。
こんな時は必ず、へそ曲がりの思考回路が働き、時間がないというのはどういうことかと考える。やりたい事が20あって、時間が10しかなければ当然時間は足りなくなる。でも、本当にやりたい事が20もあるということがあるのだろうか。人は、どうしてもやらなければいけない事があるのは事実だけれでも、それも精査していけばやらなければいけない、と規則を自分に作っているだけの事も結構ある。
疑問は、本当にやりたい事、ってのは本当は意外と少ないのではないかということだ。旅行に行きたい、友人と会いたい、語学を学びたいなど、今できないことは、時間ができたら「やりたい事」というカテゴリーに入れてしまい、やらない。それはある意味「時間が無い」ということを言い訳にして怠惰していること以外の何ものでもない。だから実際には、時間が無いわけではなく、やるだけのやる気、気力が無いということだ。時間が無いというのは、自分に対してやらない言い訳としては最高かもしれない。
そこでこんな風に考えることにした。時間というのは、自然に等間隔に流れていくものでは無く、何かをした際に時間が創り出される。例えばロースとビーフを作ると30分という時間が創り出される。イタリアから日本に飛行機で飛べば12時間という時間が創りだされる。何もしなければ時間は何も生まれない。一日24時間という均等に時計が刻む時間を、自然と流れていく時間を、絶対的なものとして思うから、いつも時間が足りない。これから時間は自分で創り出す出すものだと思えば、まだこれからドンドン時間を創り出していくことができる。今朝は、ちょっとの待ち時間にワイシャツにアイロンを掛けたから5分余分に時間を創り出す事ができた。











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# by kimiyasuII | 2018-11-13 18:18 | Comments(0)
2018 11 11 フリッタータ
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# by kimiyasuII | 2018-11-11 12:26 | Comments(0)
2018 11 10 ジグザグ
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# by kimiyasuII | 2018-11-11 03:17 | Comments(0)
2018 11 10 行っちゃう
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# by kimiyasuII | 2018-11-11 03:14 | Comments(0)
2018 11 04 美しい国
第一次のときは随分良いことを言っていた。美しい国、日本。戦争にいくようなことは美しくないから日本じゃない。美しい海を埋め立てて軍事基地をつくるような事はどう考えても美しくないからこれも駄目。夜な夜な、お金を掛けて一攫千金の大もうけを夢見て人々が通う施設をつくることも美しいとは言えないから駄目。伝統を大事にして未来に受け継いでいくことは美しいから大事。もう7年も経ったのに自分の家に帰れもしない、挙句の果ては仮設住宅も追い出されてしまうようなことは大分醜いからだめ。雨どいがプラスチックなのも美しくないからだめ。渋谷の交差点で車をひっくり返すような馬鹿騒ぎもするのも美しくないな。外国で戦争なんかによって普通に生活できない人が来たときに追い返すなんてのも美しくないな。日本の自然は本当に豊かで美しいからこのまま残さないといけない。古い建築物なんかもかなり美しいぞ。職人技は世界に誇れるほど飛びぬけて素晴らし美しいから絶対絶えさせちゃあいけない。子供を虐待するようなことは美しさの対極にある。誰がどれだけ儲けた、損した、あの会社が飛んでもない売り上げをしたなんて話しもあまり美しくないぞ。
成長が終わり、90年以降「理念」を掲げる事が、今後数十年に渡ってどんな国にしたいかイメージすることが難しくなってしまった。先進諸国は何処もそうだ。軽い気持ちで、キャッチフレーズ程度のつもりで、ほんとうは勘違いで掲げた標語の「美しい国、日本」という言葉は、真面目な国の理念としては飛んでもなく素晴らしい。その理念に様々なことを照らし合わせてみれば、自分たちがやっていること、やろうとしている事がどんな事かすぐに評価、判断できる。分かっちゃうから、最近はこの言葉は全く口にださない。
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# by kimiyasuII | 2018-11-05 06:33 | Comments(0)
2018 11 02 犬
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# by kimiyasuII | 2018-11-02 14:04 | Comments(0)
2018 11 01 秋
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# by kimiyasuII | 2018-11-02 13:36 | Comments(0)
2018 10 30 静物
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# by kimiyasuII | 2018-10-30 20:20 | Comments(0)
2018 10 30 セリエA
長い夏が終わり、この季節にはコモでは雨が降り続く。コモ湖からアッダ川を下る水はベネチア、アドリア海に流れていき、今年もベネチアの街を冠水させた。雨上がりの朝は妙に空気が澄んで、不思議な色をかもし出す。
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サッカーにはセリエA,セリエB,野球は1軍、2軍、とまあ、みんな平等に試合する訳にはいかないから、ランクによってグループ分けをするわけだけれども、国民もセリエAとセリエBに分けるような社会は、政治は良くないな。例えば正規雇用と非正規雇用労働者、とか、は典型的なセリエ分け社会だな。



































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# by kimiyasuII | 2018-10-30 19:38 | Comments(0)
2018 10 29 交差点
中を走っている者に優先権がある。だから入るものは左側から来る車だけに気をつければ良い。相手の車の速度と自分の加速して侵入する速度をつかんで、割り込みではないけれども隙間に速やかに侵入する。その時、左から来る車の運転手の目もみて、その人が自分が入っていくことを意識しているかどうかも確認しておけばより安全だ。のんびり車が全く来なくなるのを待っていれば良い訳ではない。そんな事をすれば後ろからくる車からクラクションのブーイングを受ける。瞬時の判断と速やかな行動が必要になる。これが日本でも導入しようとしているロータリー式の交差点だ。国際免許を取ってイタリアでレンタカーを借りて運転してまず戸惑うのは、このロータリー式の交差点で、街を外れるとほとんどの交差点と言ってよいほど、このロータリーが待っている。
それに比べると信号機は、あまり頭を使わないから簡単だ。信号の色によってもう行動は決まっている。最も黄色になったばかりは、一瞬で進むか止まるか判断しなければいけないけれども、ローターリーほどには頭をフル回転させる必要がない。言ってみれば、ロータリーは運転する人の「自己責任」的な要素がとても強い。
一見、信号機のほうが、事故が少ないように思う。絶対的な「命令」が車の往来をコントロールするのだから。ところが実際には統計的には10から15パーセントほど、ロータリー式の交差点のほうが事故が少ない。それはおそらく個人個人のドライバーが「頭を全開して使う」からなのだろうと思う。信号機ならスマホをしながらでも通過できるけど、ロータリーはとてもスマホなんかしていたら通過できない。スピードだって落とさなければならない。相手のドライバーの顔、表情にも注意しなければならない。加速などの運動神経も要求される。そんな状態だから結局は細心の注意をはらって通過することになる。
日本の信号交差点もすばらしいロータリー式にどんどん替えれば良い、などということを言いたかったわけではない。このような違いが生活の沢山の局面で見られる。例えば原発稼働にしても、イタリアではひとりひとりが自分の判断で国民投票をして決めるのに対して、日本では政府という信号機が青か赤か決めれば、それに国民は素直に従う。人が集まれば、様々な決定、行動にはその場の空気が信号機の役割をする。時々信号無視をしたりすれば「空気が読めない人」とこっ酷く批判される。
日本とイタリアの社会の違いは、と聞かれたらこれから、信号機交差点とロータリー交差点の違いのようなものと説明することにしよう。
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事務所のスタッフマルチェッラに第二子、GABRIELEガブリエレが誕生した。
おめでとう!


















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# by kimiyasuII | 2018-10-29 18:44 | Comments(0)
2018 10 25 夕焼け BLEVIOの家から
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# by kimiyasuII | 2018-10-26 01:41 | Comments(0)
2018 10 22 村のバル レムナ村にて
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# by kimiyasuII | 2018-10-23 01:00 | Comments(0)
2018 10 18 得した。
夕食を終えると、レオの散歩の時間だ。もう眠り体制に入ってしまったレオに、散歩行こうかと言えば、パッと目を開き、大きな伸びをする。ソプラビッラ村の幅2mもない、薄暗い迷路のような道をグルリと一周してくる。どの家ももう数百年は経った石の家で、モルタルもはげ落ちたり、木の扉は腐りかけたりしていて、街路灯の灯りの届かない物陰からは何かが出てきそうな感じがする。7時過ぎには真っ暗になってしまう最近は小さな懐中電灯も持ち歩いて行く。この家、改修工事を始めたのか、家の前にレンガや古い木材が積み上げられ、小さな古くペンキのはげ落ちたテーブルが置かれていた。雨が降ってもお構いなしなので、これ捨てるつもりかな、こんなに綺麗なプロポーションのテーブルはなかなか見つからないのに、と思いながら数日過ぎた。ある日、ちょっと思い切って紙に、「このテーブルもし売りたいなら、ここに電話してください。」と書置きしておいた。翌日、早速電話が掛かってきた。欲しいという女の子がいるけどはっきりしないからもし彼女が要らないならまた電話してくれるとの事だった。そして数日するとまた電話が掛かってきて、良ければいつでも取りに来てという。いくらかと聞くと、捨てるつもりだったからお金は要らないという。困った、まあ道に放ってあったものだから、おそらく捨てようと思っていたんだとは想像していたけれども、全く見知らぬ、顔もみたことない人からこんなに「美しいテーブル」をもらってしまうのはさすがに申し訳ない。お菓子でも買ってもっていくかと、電話を切った。
その日の夕方、コモの街にあるパン屋の美味しいヌーボラ・雲というお菓子をもってテーブルを取りに行った。インターホンの呼び鈴を押すと、玄関ドアが開いて「誰」という。「あのテーブルの、、。」と言うと、「ああ、持って行っていいよ」という。「これ詰まらないものですけど」(イタリア語ではこうは言わない。詰まらないものなどと言えば何故そんなものを持って来たのかという理屈になる。)とお菓子を差し出すと、「お菓子を持って来てくれたのか、上がって上がって、ワインでも飲もう」という。「何処から来たの」という。「日本。」「オーイ」、と奥さんも呼ぶと、駆け下りて来た。「お会いできて嬉しい!」と握手も求めてくる。まあ、イタリア暮らしも結構長いけど、見ず知らずの人からこんなに奇麗な骨董のテーブルを頂いて、その上歓待してもらうと、さすがに少し引けてしまった。
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日本では報じられていなけれども、南イタリアのRIACEリアーチェという村で、村長が在宅捜査の対象とされた。家から出る事ができない、イタリア語では在宅逮捕という言い方になる。何をしたかと言えば、移民を助けたという罪状による。リアーチェという村は住民約1700人の小さな村だが、ここに過去10年余りで約6000人、20カ国からの難民を受け入れて収容した。20年前、この村も他の多くの村と同じで過疎村として、住民の高齢化により人口は減る一方で、また村の中心地には見捨てられた空き家が一軒、一軒とどんどん増えて行った。このような村の空き家を、難民達に提供することによってこの臨界集落へと下り坂を転がり落ちて行く村に命を再び吹き込んだ。確かに異様ではある。イタリアの山村に、世界中から肌の色も、言葉も風習も違う人々が集まり住む「国際的」な社会ができていることは。逮捕劇は、先の選挙で多くの票を獲得した右派、同盟党の党首、副首相のサルビーニによって演出された。地中海を漂流する船から難民を救うアクアリウスという国際船をイタリアに接岸させなかったり、難民を他国にたらい回しにしたりと、反移民を演出することにより、現在ではイタリアの第一政党にまでなっている。90年まで、冷戦が終わるまで、イタリアの政治は、右と左が程よく均衡を保ち、政権交代をその都度行っていたが、不景気のためなのか、実質的な「左」の消滅のためなのか、現在では当時の政治状況からは全く想像できないような政界地図となっている。
外国人労働者を語るときに、日本は労働力の確保を如何にするか、という観点からしかしない。日本からもかつて、ブラジルやアメリカ、カナダに多くの日本人が移民している。忘れてはいけないことに、国家という価値のはるか上位に、人権という普遍的な価値があることだと思う。それは、他人の人権は、それが都合悪い人間、自分の不利益になる人間にとってはまるで「自分勝手」とうつるかもしれないけれども、「人権」は中世に神が絶対的なものであったように「絶対的な価値観」だ。
北朝鮮からの漂流民、それは往々にしてすでに亡くなっていることが多いのだけれども、その漂流民に関して、どこのマスコミもテレビもまるで海の向こうからやってくる魑魅魍魎であるかのように報道することにはどうしようもないほどの違和感を感じてしまう。何も玄関をあけて歓待しろとは言わないが、鍵をしっかり掛けて不信者をみつけたら警察にすぐに通知するようにという、漂流民対策伝授にはあきれてしまう。
北朝鮮の粛正に象徴されるような独裁主義が、「悪」であることは事実だけれども、「日本海」を流れ着いてきた人々は、その「悪」の体現者ではなく、自分たちと同じひとりの権利をもった「人」に過ぎない。
自分は難民のように、政治的な何らかの理由、戦争、また貧困のために異国の地に移り住んだ訳ではない、彼等に比べればほとんど「優雅移民」ではあるけれども、思いがけないような親切に出会うと、国の遥か上に、「人」がいることを実感する。
2000年以上に渡る異民族との接触をもつイタリアでさえ、この2018年に反難民救済キャンペーンを広げる政府が誕生するくらいだから難しいことは分かる。でも国家や民族、経済、という指標の上には誰もが人らしく生きる普遍的な価値が存在する事を、その権利が自分だけでなく他人にも、とりわけ自分よりも弱い立場にある人にも授与されている事を忘れないようにしたいと思う。
(PS.おっとと、この世にはもはや「電話」なるものは存在しないのだった。ウラシマ太郎だ。)




























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# by kimiyasuII | 2018-10-19 12:30 | Comments(0)
2018 10 15 洞のある公園の散歩道
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# by kimiyasuII | 2018-10-15 17:35 | Comments(0)
2018 10 15 村のお墓
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# by kimiyasuII | 2018-10-15 14:14 | Comments(3)
2018 さわる
久しぶりに道で会った女子友人、チャオと声を掛け合い近づくと、阿吽のタイミングでごく僅かほとんど数ミリ頭が前に出ると、頬にキスをするという両者の同意の合図となり、両腕を挙げて、軽く抱き合い頭を僅かに右側に移動させ左の頬同士を合わせるような感じで、軽く、ホンの軽く唇を相手の頬に近づけチュッという吸い込み音をさせる。そしてもう一度、今度は右の頬でも同じ行為を繰り返す。相手を抱擁すると、体格を感じ取れる。彼女は背が結構高いし、良い体格をしているからがっしりした感じがする。頬が触れたときには、肌の温かさや微妙な感触も伝わってくる。体を触れるので、体臭や香水、化粧品の香りなどもほのかに感じる。
もう2年くらい前だけれど、日本に行った際に自分の設計した住宅の現場を見に行った。個室に入るとコストの問題から仕方がなく使ったパナソニックの木目仕上げの屋内ドアが目に飛び込んできた。それが、想像していなかったほどのできで、とても綺麗で、随分プリントの技術は進歩したのだと、あらために驚いてしまった。年間何万本、何十万本と製造するパナソニックなので、こんなコストでこんなに綺麗なものができるという事なのだろう。近づいて見ても、表面の微妙な木の凹凸までもが再現されていて本物の木と区別することが難しい程だ。
キス、抱擁、最近は日本ではハグというようだけれども、は考えてみれば人の4感をフルに、全開して使う挨拶、コミュニケーションということだ。見て、聞いて、触れて、嗅ぐ。まあ相手を食べる訳じゃないから味覚は使わないけれども。その後、コーヒーでも飲みに行けば味覚も使う。意識しないけれども、人と世界との関係、コミュニケーションというのは5感を通して行われている。
かつて建築もそういうものだった。木には独特の見た目に美しい木目があり、触れた際の触覚はとても優しく、独特の香りをもっていて、何かが当ればその木の音がした。だから杉という木材には杉の個性があり、欅には欅の個性があって人は五感を使って、それが杉であることを認識していた。パナソニックの屋内ドアは確かに綺麗だけれども、それは視覚にしか訴えてこない。木の感触も、音も、香りもない。見た目が良いだけの工業製品に過ぎない。日本の建築を見ていくと、恐ろしいほどこの「視覚」だけを取り繕った建材に溢れている。むしろ、本物を見つけ出すのが難しいくらいだ。床材は木目プリントのフローリング、塗り壁調のビニールクロス、石のようなタイル、タイルのようなユニットバス。建築における技術の進歩というのは、偽物をどれだけ視覚上本物に近づけるかということに他ならない。100年前の本物しか使えなかった時代を目標にしているのが最先端技術だというのだから随分、おかしな話だ。
僕は、写真で見るだけの視覚友達よりも、抱きしめて実感する女子友達のほうが遥かに良いな。コーヒーを奢らないといけないから余分に1ユーロのコストが掛かってしまっても。
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# by kimiyasuII | 2018-10-14 13:16 | Comments(0)
2018 09 28 フロアースタンド
半世紀前、子供だった頃と比べて、現代って本当に人は豊かに、幸せになったんだろうかとイタリア人と話をした。技術の進歩によって医療技術も進んで寿命も延びたし、コンピューターによって随分と生活も便利になったみたいだ。それは事実としても、感覚として昔と比べてすべてのひとが本当に幸せ感をもっているとは、どうも思えない。
受け売りなのだけれども、現代人というのは、「新しさ」と「取り換え可」という二つの観念に取りつかれている。例えば、車だ。車というのは、数年乗ると、「新車」に替える。とても性能、品質のよくなった車はなかなか壊れない。5年ほど乗っただけではどこにも調子の悪いところはなくてまるで新車と変わらない。それでもメーカーは5年もすればモデルチェンジをしたり新機能を搭載して買い替えを人々に促す。
スマホも同じだ。車よりももっと早いペースでとりわけ通信が日進月歩で進んでいるネット環境では古いスマホはほとんど使い物にならない。だから2,3年もすれば取り換え、ということになる。
スマホや車などに見られる新しさと取り換え可能というふたつの様相はすべての「商品」に当てはまる。古くなったから、「新しいものに交換する」という訳だ。食品でも、これでもかという新商品が毎日毎日スーパーマーケットの商品棚をにぎわす。何十年も前から販売されている我が愛する「ペヤングのソース焼きそば」を除いて(もちろん他にも多々あります。)、商品は手を変え品を変え入れ替わっていく。
それが何故、幸せに繋がらないかと言えば、このような新商品は、買った瞬間に、手に入れた瞬間に「古く」なってしまうためだ。物理的にものが古くなるわけではない。心の問題として、このようなものは手に入れた瞬間に、次に来るべき「新しい物」への渇望のために、すでに魅力のない古いものと化してしまう。だからこの手に入れる前までは魅力あふれる「新しい物」は手に入れた瞬間に、価値をなくして、さらに「新しい物」への欲望を再生産していくというわけだ。これはもう果てしなく続く連鎖のようなもので、新しいものを手に入れれば入れただけ、欲望が生み出され次なる新しい物と「交換」されていく。そんな事は当たり前と思うかもしれないけれども、これは当たり前でも何でもなく、生活の大半ががそのようなメカニズムになり、すべての「新商品」へと「取替え」が当然の事になったのは、90年代以降、新自由主義が世界を席巻するようになってからであることには注意を払う必要がある。
建築設計をする自分としては、建築すらもこのような取替え可能の「商品」にとなったことには、何ともやり切れない思いをするのだけれども、その責任のほとんどが「建築家」にある以上は如何ともしがたい。
このような心理的なメカニズムを巧妙に、そしてあからさまに利用して発展してきた、どんどん肥大化しているのが「グローバル化した資本主義」という化け物であることを指摘する「知識人」は日本ではほとんど見かけない。
でも真の問題は、そのような肥大化する物理的な単なる消費主義ではない。もちろん単なる消費主義も現代では環境汚染問題などの形で具体的に人々の生活にのしかかってきているのだが。そのような物理的な消費主義はさておき、真の問題は、人の心がそのような固定的なメカニズム、感情のルーチンをもってしまうことだ。人との関係においても、古いものは捨てて新しいものに取り替えれば良い、という心のメカニズムが働く。職場は、憧れて入っても、入ってみれば難しいことに出会って、まあ別の新しいところで働けば良い、となる。まるで世界で唯一たった一人、と思って結婚してみたら、事情が違っていた。分かれて、新しいのを見つければ良い、となる。もちろん職場も結婚相手も確かに変えて良かったことは多々あるだろうけれども、それが「商品」に対しておこる心の動きと全く同じように働いてしまうということだ。向き合わなければならない問題は、新しいものに取り替えて済ませる、という事ではなくて、そのような難しい状況に対してどのように振る舞うかということなのだ。
これだけグローバル化が進んで、世界何処でもスタバのコーヒーが飲めるし、フェースブックを開けば世界中の人とたちどころに知り合うことができるようになったけれども、パートナー代理店は無数にあるけれども、現代人はやっぱり交換可能な新しい物にいつも追いかけ回されて、せわしない時間を駆け抜けざるをえない。
日本では、大学文系の予算を減らし、理系、技術系により予算を使うような方向で動いているようだ。考えてみれば科学技術とは「新しいもの」に「交換」していくことを価値観の中枢に据えている。「日本」を作って行きたいと思うなら、人の「価値観」を研究する文系こそにより「投資」をするべきだと思うのだけれども。


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数年前に古物市で買った三個10ユーロの60年台の天井付け照明器具を、ヒックリ返してみたら、随分魅力的な形をしていた。そこで3本の8ミリ径の丸鋼で足を作り、フロアースタンドとした。こいつはフロス社のどんな新製品よりも素晴らしいじゃないかと、自己満足して、「幸せ」になった。

























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# by kimiyasuII | 2018-09-26 12:47 | Comments(2)
2019 09 23 プロ
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5センチくらいの引き出しが18段、それぞれの引き出しの中は無数に小割がされていて、かつてここには無数の「活字」が収められていた。そこからひとつづつ職人が選びだして並べていく。すると文章ができていく。それは何かの本だったのかもしれない。一体その本にはどんな事が書かれていたのだろうか。
技術の進歩のおかげで活版印刷などという手間のかかる面倒な作業は、この地球上から姿を消してしまった。一緒に活字の専門家も。

その亡骸を、ちょっと前に手に入れて放ってあったけれども、ようやく涼しくなりだした日曜日に修復した。何をいれようか。





















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# by kimiyasuII | 2018-09-24 13:12 | Comments(0)
2018 09 22 巻式衛生紙
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手を入れずに引越してしまった洗面トイレをようやく直し始めた。壁に飾るいい写真が見つからない。トイレットペーパーの写真でも飾ることにして改めて写真を撮った。そう言えば、昔はロールペーパーなどなくて、衛生紙という、ゴソゴソの四角い再生紙が竹でできた紙入れにあって便器の横に置いてあった。
























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# by kimiyasuII | 2018-09-22 21:17 | Comments(0)
2018 09 17 誕生日
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犬を飼い出して、1年と9ヶ月、犬は2歳になった。
子供もなく、ずっと夫婦二人の生活だったから、他の「生き物」が24時間家にいるという体験はとても新鮮で、本当に良かったと思う。典型的な犬を馬鹿可愛がるちょっと頭のおかしい初老夫婦というわけだ。
人が来ると、犬のレオは、大歓迎して興奮する。いつもなら寝る時間なのに、お客さまが帰る深夜まで、眠そうな目を必死であけて起きている。
朝は、ご飯はまだなのと、起こしにくるし、その後は、散歩に行こうと静かに待っている。
家のテラスから見える、救急車や見慣れない車に、湖を行く船に、空を飛び交うツバメを追いかけて、吠えまくる。
帰国して一週間も家を留守にすれば帰ってきたときの喜びようといったら、目も当てられない。夫婦で口争いをすれば、あっちに行ってじっとして、ショボンとしている。(本当は、また始まった、何馬鹿なことで喧嘩なんかするんだよう、と思って呆れているのかもしれないけれども。)
この鼻の潰れたなんとなく情けない顔をしているから、レオを連れて散歩していれば見知らぬ人が声をかけて来る。イタリア人がどんなに外交的だからと言っても、犬が居なけりゃこんなに簡単に声をかけたりはしない。同じ犬種でも連れていようならもう旧知の間柄のように会話が弾む。自分のような「移民」にとっては、犬はここに住み着いていることの証なので、変な目で見られることもない。
なんか最近は、「ちょっと待ってて」とか「散歩に行こう」とか、そんな言葉は分かるような挙動をする。
日本と違って、イタリアではほとんどのオフィスやレストラン、時にはスーパーマーケットも犬は立ち入り許可だから、不自由な思いもすることもそんなに無くてどこにでもつれていける。それでも一昨日は、昔の隣人パトリツィアの家に連れて行くと、ちょっと目を離した隙にソファーにオシッコをしてしまった。参ったけども仕方がない。
つくづく、犬の生活を見ていると「シンプル」だと思う。まあ時には気の悪い犬には吠えてかかることもあるけれども、それは軽い喧嘩程度で「戦争」はしない。餌の肉を蓄えておこうなどという蓄財の強欲な気持ちもない。人が「可愛い犬」と言ったからといって有頂天になって調子にのることもない。眠い時には寝る。奇麗な服や首輪が欲しいなんてことも思わない。人より良い家に住みたいなんても思わないし、寒いの暑いのだと文句も言わない。日本語には「犬畜生」などと言う蔑む言葉があるけれども、こうして一緒にくらしてみれば犬は悟りを開いた「仏様」のような気がする。
レオと一緒にいれば人は何て「くだらない事」で怒ったり泣いたり、心配したりして、全く生まれながらにして心の病んだ動物だと思う。
自分もそうだったから分かるけれども、犬を飼ったことが無い人は、こんな話は全くチンプンカンプンの話で、犬ごときに何を戯言を言っているのだ、と思われるだろう。餌を夢中でむさぼる背中姿が可愛くてしかたがなく思わず笑みがこぼれるのだから、、。































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# by kimiyasuII | 2018-09-17 00:00 | Comments(2)
2018 09 05 コモ湖東岸,旧街道レジェ道をのぞむ

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# by kimiyasuII | 2018-09-06 05:31 | Comments(0)
2018 09 04 CAZZANOREの径
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# by kimiyasuII | 2018-09-04 01:41 | Comments(0)
2018 09 04 肌寒い

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# by kimiyasuII | 2018-09-04 01:36 | Comments(2)
2018 08 25 遊覧3 船着き場

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# by kimiyasuII | 2018-08-26 06:09 | Comments(0)
2018 08 25 遊覧2

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# by kimiyasuII | 2018-08-26 06:01 | Comments(0)
2018 08 25 遊覧

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# by kimiyasuII | 2018-08-26 05:59 | Comments(0)