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イタリア

コモ湖畔の書斎から2 dalla finestra lariana2

22019 07 14 日曜日の午後
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7月中の日曜日、天気も大分イタリア夏らしくなり、肌を刺すような日差しの強い日も、木陰に入れば風が気持ちよい。以前から家に来ないかと誘っていた友人ラウラから3、4日前に電話があり、今度の日曜日にもし用事がなければ肉をもっていくからバーベキューをしようという。もちろん喜んでと答えた。街から5キロほどの道のりを自転車で来ると言っていた友人夫婦は、寝坊したからと車でやってきた。僕は門の鐘がなると、レオに「そら、ラウラ達が来た。出迎えにいっておいで」というとレオは走って出迎えに行った。丁度僕は、庭にある古い鋳物の調理ストーブに火をつけていたところだった。
僕たちは、家の菜園でとれたトマトをサラダにして、ズッキーニを肉と一緒に焼こうと準備しておいた。そして朝、人気のプリンを作って用意しておいた。
まずは時間のかかるスベアリブを焼きに掛かった。毎日使う訳じゃないから、結構火加減がむずかしく僕は薪の量と、鉄板の高さで火の強さを調整しながら焼いた。そしてほぼ焼き上がると、サラミーニという太い生ソーセージを縦に二つに切り開き鉄板の上に乗せた。もう細いスベアリブは食べる事ができる。僕はレオと遊んで雑談しているラウラの夫、ニーノを食卓に促すと、みんなで席についた。気持ちの良い風の抜ける木陰で、僕たちの肉色会は始まった。レオももちろん肉の臭いに誘われて下からジッと僕を見つめている。こうして甘やかすから駄目なんだと分かっていても、あの目で見つめられたらあげない訳にはいかない。僕は小さく切った肉片をレオに食べさせた。
大きなスベアリブも焼けて、食卓は華やかになっていく。そしてソーセージも。他にも4枚のステーキをもってきた友人だけれども、これはちょっとお腹の調子をみてから焼く事にしよう。
ラウラは初婚だけれどもニーノが、再婚なことは知っていた。そしてもう23になった彼の娘マリカが、ニーノ、ラウラと一緒に暮らしていることも知っていた。僕は、「ちょっと立ち入ってるけど、マリカは、新しい家族の中で育つことに問題はなかったの」と聞いた。「マリカは、7歳の時、母親でなく自分と暮らすことを選んだんだ。実の母親、元妻は、精神的にあまりに不安定で、一緒に暮らすのは大変だったと思う。最初は弟のために母親と暮らすと言ったけど。だからラウラと暮らすことも問題なかった。」とニーノは言った。「彼女、元妻は心理療法が必要なのに、この歳になるまでほっておいたから最近は更にひどい。電話なんてかけられたもんじゃない。彼女の両親はふたりともアルコール中毒だったから。」ラウラは、ニーノに、「でも自分で選んだ妻だったんじゃない」と言うと、ニーノは「まあ、若かったから、、。」と答えた。おそらくマリカにとってニーノは母親の意味もあるのだろう。日曜にはニーノとマリカはミラノのサンシーロまでインテルのサッカー試合を必ずと言ってよいほど一緒に見に行く。
友人ラウラと書いたけれども、本当はラウラは友人レンツォの娘で、実際僕とは随分歳も離れているし、普段電話で雑談するような関係じゃあない。時々街で出くわすと2,3言葉を交わす程度だ。だから僕はラウラとニーノが随分昔に結婚したことは知っていたし、マリカがまだ母親と暮らしていた5,6歳のころ、つまりもう15年以上前に一度家に遊びにきたことがある程度の間柄だ。
最後に少し丁寧に焼いたステーキを食べると、ラウラの弟イワンがニーノに電話をしてきて、家の湯が出ないという。ニーノは水道工事屋だから給湯機のこともよく知っている。電話であれこれ指示をしたけれども結局壊れてしまったようだ。
最後に用意しておいてプリンのデザートとコーヒーを飲み終えるとラウラは日光浴をしていいかと木陰のテーブルから席を外して、太陽の照り付けるテラスに椅子を引っ張り出した。あんな日の光に照らされたら焦げてしまうと思うのに、ラウラはそのうち寝息を立て出した。レオもテーブルの下で風にあたり気持ち良さそうに寝ている。
店もほとんど休んでいるイタリアの日曜はこうして木陰で家族や友人とのんびりした時間が流れていく。評判のレストランに行くよりも、観光客でにぎわう街にでるよりも、僕はこういう日曜日が一番「充実」していると思う。
目を覚ましたラウラが、皿は絶対に自分が洗うからね、と強情をはり、ひとりで台所を奇麗にすると、門の鐘をならして街にある家に帰っていった。









# by kimiyasuII | 2019-07-17 05:04 | Comments(0)
2019 07 12 たいさんぼく、今年も
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# by kimiyasuII | 2019-07-13 04:40 | Comments(0)
2019 07 04 村の湖岸にある普段は使われていない教会
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# by kimiyasuII | 2019-07-05 04:54 | Comments(0)
2019 07 02 息子殺し
子供のころから超優秀で、学年でいつも一番で、東京大学に入る。そこでも成績は優秀で、官僚になる。省庁でも優秀で、難しい仕事をどんどんこなし、上司にも気に入られてトップにまで事務次官にまではい上がる。いつもみんなから羨望の目で見られ、また自分でも自分が優秀な人間だとおもう。そして無事、定年を迎え、その後はそれなりの天下り組織で、役割を果たし豊かな年金暮らしをする。
ところが、唯一の汚点、がある。それは息子だ。出来が悪い、どうしようもなく。最近は家に籠ってコンピューターでゲームばかりしているようだ。時には暴力も振るう。もう歳も40を過ぎたのに、自分の若かった頃と比べたらもうどうしようもない。自分が40の時には省庁で、朝から晩まで、重要な仕事を夢中になってこなしていたのに、一体あれは何なんだ。自分の息子とは思えない。殺したい程の憎しみが湧いてくる。自分の完璧な人生にあのような息子が居る事は絶対に許されない。
引きこもっていた男が、突如小学校のスクールバスを待つ子供達を襲って、殺害したというニュースが入ってきた。自分の息子もその事件と同じような事を引き起こすのではないかという気がしてきた。そうだ。それを止めるためにも自分はこのどうしようもない息子を殺さなければならない。
僕はこの事件には、日本の社会がもつ「病理」がいくつも隠されている、のではないかと思う。それは社会の「病理」であり、社会を構成しているごくごく普通の人にも深く関わっていることだ。だからこの事件を単なる駄目な息子をもったエリート官僚の絶望、駄目な子供をもったエリート官僚の責任という個人の事件として片付けてしまうべきではないと思う。
日本の社会のベースにあるもの、通奏低音のような、まるで地下水のようなものは、東京大学、官僚という頂点を形成するヒエラルキー社会であるということだ。ものごころついた頃から、まずは日本人はこのレースに参加させられる。もちろんみんなが東京大学なんてめざしてる訳じゃないよというかもしれない。でも学校では成績の順位をつけられ、上のものは更に上を目指して行くというベクトルが働く。問題は、その上に位置した子供が、あたかも人間的にも上に位置するかのように見なされ、まるで成績順が、人間的な価値の順位でもあるかのように見なされてしまう。成績の優秀な者は優越感を、劣ったものは劣等感を植え付けられる。こんなことは当たり前だけれども、何もひとより計算が速くて正確だからと言って、人間的に価値があるわけじゃあない。何も難しい物理の原理が分かったからといって素晴らしい人間であるわけではない。もちろん成績は良いほうが良いことは当たり前だ。でもそれは単なる「脳の性能」の問題であって全体像をもった人間を計る上での尺度とは全く関係がない。それにも関わらず、日本の社会は大学を出るまで、そしてその後も、会社にまでもヒエラルキーを作ってそこに登り続けるような生き方をさせる。
このような社会のプラットホームで生きて行かなければならない個人にとっては「家族」は、アジーロ、逃げ場でなければならないはずなのに、全くその役割を果たしていない。血の繋がり(物理的である必要はない)によって保証された人間関係の最小の単位だ。そこにはヒエラルキー、序列はなく、おのおのの居場所と役割がある、共同体のモデルでなければならない。ところが、この「家族」がヒエラルキー社会参加のための器になってしまっている。「お受験」と言う言葉がそれを良く表現している。だから家族本来の意味はそこでは見つけることができない。
親の役割は、子供を客体的存在から主体へと育て上げる場でなければならない。それは学校で教える算数や国語のような知識を詰め込むことではない。あえてこんな言い方しかないけれどもそれは「愛」を伝えることによって初めて実現する。愛を親が子供に刷り込むことが出来たとき、子供は親の客体からひとりの主体へと成長する。
この息子を殺害した性能の良い脳をもった親は、見事に「家族」という共同体を創ることができなかった。それは、算数の問題が解けない人が居るのと全く同じように、「家族」をつくる性能に欠いた人だったということだ。おそらく自分自身も、殺してしまった息子のように親から「愛する」ことを学ばなかったのだろう。”学のない人間”が起こした幼児虐待殺人となんら変わらない。子供を自分の所有物、客体としてしかみれない、愛を学ばなかった人にしかできない行為だ。それは人間をまるで古くなるとスクラップにしてしまう機械、モノとしてしか見ることのできない人間の行為だ。自分の思い通りに動かない機械は壊してしまえば良いというわけだ。命あるものをまるで機械と同じようにみなす、客体としかみなせない感情的無知のなせる業だ。
そして更に抱える日本の病理はそのような親子関係を救い上げるための社会的セーフティネットがない、機能していないことだ。もちろん問題のある家族は無数にあるし、何も家だけが「愛」を教える場ではない。時には友人であったり宗教であったり、同好会であったり、スポーツであったり、相談所であり、また医療でもあったりする。こんな事件が起きると驚いてしまうのは、その無数に張り巡らされているはずのセフティネットが機能していないということだ。いったいどうしたらどれにも引っかからずに、転げ落ちてしまうのだろうと思う。これはおそらく日本人の個人間のコミュニケーションに基本的になんらかの「問題」があるためではないだろうか。
箇条書きにすれば次のようにまとめられる。
1 ヒエラルキー社会であること
2 家族の喪失
3 個人が客体的であること
4 セーフティネットの欠如
1のヒエラルキー社会を変えるにはかなりの時間がかかるかもしれない。しかし不可能な事ではないし、聞いた所によれば先進国でもフィンランドでは学校教育に「順位」を持ち込まないことをしているようだ。2,3は身近なところから直ぐにでも始められる。それは毎日家族が同じ食卓につき、会話を交わすだけでいい。できれば料理は家族の誰かが作った方がよい。弱者救済のための経済政策は確かに火急の要件かもしれない。でも、これから日本が進む方向を見出したいなら、まずは個人が意思をもった主体であることを認めることだろう。これは奥深いところで「人権」という概念とも結びついている。4のセーフティネットに関しては、様々な制度としての取り組みはもちろん必要だけれども、公的な仕組み以外にも、友人、知人、親戚などの身近な人間とのコミュニケーションを身につける必用がある。これは「はい、コミュニケーションしましょう」といって機能するものではない。表面上のコミュニケーションの術は、日本人は他の国の人々と比べて、随分長けていると思う。にっこり笑顔をつくり、挨拶を交わす。両者にあまり差し障りのない会話を交わす。でも、うれしくなったり、気分を害したり、するような心の奥の部分に抵触するような会話は、コミュニケーションの術はあまり持っていない。だからこそ、かなり人に伝える事の上手だったはずの高級官僚も、おそらく自分の息子に関しては、どこにも相談することすら出来なかったのではないだろうか。セーフティネットは、社会的な制度だけでなく個人レベルでも、むしろ個人レベルでこそ機能する。
こんな事を書いている間に、三日間家に娘を放っておいて殺してしまった母親のニュースも入ってきた。ビートルズがall you need is loveだの、ジョンレノンのイマジンなど、loveを「愛」と解釈して、「へっ」って思っていたけれども、本当は随分「奥深い」ことなんだなあ、とこの歳になって分かったのは情けない。
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# by kimiyasuII | 2019-07-03 18:54 | Comments(3)
2019 06 28  暑くて暑くて、ひんやりした床の上にペタリと張り付き窓の外をじっと見るレオが何を考えているか僕には分からない。
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# by kimiyasuII | 2019-06-29 01:25 | Comments(0)
2019 06 27 雑誌創刊パーティにて
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THINK WONDER LAKE という雑誌の創刊パーティーに行った。
グルメッロ邸というもともと貴族の館、典型的なコモ湖畔に立つ館をかりてのパーティだった。
ひとりだし、誰もしらない。まあ、ビュッフェの旨いものでも食べようかとぼんやりしていると声をかけられた。
「あなたと同じ村に住んでるの。ロレンツォにブレビオ村に住んでると聞いたから、。」「はじめまして。村の何処。」「入り口のところ。国道のトンネルを出たすぐ上のグレーの建物。」「出身は。」「ウクライナ。」「へえ、ウクライナから、もう長いの。、、、」
と話していると、横に東洋人の女性が立っている。
「雑誌でみてあなた以外にアジア人はいないから、、、。わたしは韓国人。こちらは私の相棒で、スイスのキアッソで働いている。」「へえ、スイス人。」「いや生粋のイタリア人でアオスタの出。時計のデザインをしている。」
椅子が足りないから隣のテーブルから空いた椅子を借りようと声をかけると、ちょっと英語なまりのイタリア語で婦人が声をかけてくる。イギリス人の画家。
まあ、随分、国際的な集まりだ。
それにしても、僕は決して人の集まりが好きじゃないし、パーティなどなるべく避けてきた。知らない人と、べらべら話しができるような人間では無かった。大体、知ってる人間ともべらべら話しをするような人間では無かった。一体いつのまにかこんな事になってしまったのか。ひとつにはイタリア語という言語が物理的に人をおしゃべりにさせるような気がする。こうして話しを人と随分するようになってみて、話す事によって自分を確認するというか、話しをしないことには自分がないのではいう気がする。
亡くなってしまったけれどもユング派の心理学者、河合隼雄は日本人のこころの様態を中空構造という言葉で、自分の中心にある、自分の核である西洋的な自我がない、そんな構造を持っているということを書いていた。けれども、ある明快な自我が存在し、その自我が自分を言葉を使って表現するという、河合さんのイメージする西洋的な自我というのは、本当は無いんじゃないかという気がしてきた。実は、これは本末転倒で、話すことによって、その自我が形作られていくという考え方をしたほうがどうもしっくり来るような気がする。
それは以前にも書いた、絵を描いたことのないピカソと同じで、話すことは言ってみれば絵筆で、その絵筆で自我を描いていく。その行為によって初めて、自我が形成されるのではないだろうか。つまり描く事でしかピカソにはなれないのであって、絵を描かないピカソというのは、もともと存在しえないということだ。
何も話さなくてもなんとなくものごとが決まっていく日本的な共同体では話す必要はないかもしれないけれども、相手が誰か全く分からない、自分が分かってもらえない社会ではやっぱり話しをすること、それによって自我の輪郭をくっきり描くことがまず第一歩のような気がする。
何も難しいことを言っているわけではないけれども、何処に住んでいる、何が好きだ、どんな趣味を持っているなんてことを、「言語化」することによって、「自分はああ、スパゲッティが好きな人間なんだ」、とか「自分は日本人なんだ」とか、「怒りッぽい」だとか、段々西洋的な「自我」が確立されていく。
自分の真っ白なキャンパスに自由に自分を描くことができる。それは真っ白なキャンパスを汚すようで少し忍びないけれども、白いキャンパスを人に見せれば、何これ、ってことになるからやっぱりどんなに下手でも、言葉によって自分を描く事が、大事なんだなと、いろんな国の訳の分からない人たちと話しをして改めて思ってしまった。
でも、人と一緒に長い時間いるのはやっぱりちょっと大変だから、「折角知り合った仲なので、また今度どこかでゆっくり一緒に食事でもする機会を作ろう」と言って、僕は一足先に、歓談の輪から家に逃げ帰った。















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# by kimiyasuII | 2019-06-28 04:55 | Comments(0)
2019 06 17 寝坊
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今朝は随分寝坊をして五時に起きた。外はもう明るくなりかけて、オルモ邸に小望月が沈みかけていた。

















# by kimiyasuII | 2019-06-18 04:20 | Comments(1)
2019 06 12 庭
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# by kimiyasuII | 2019-06-13 05:21 | Comments(0)
2019 06 08 名女優
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オードリーヘップバーンのイタリア時代の息子、ルカドッティが書いた私の母という、オードリーの作っていた料理の本で、スタッフが図書館から借りたまま事務所に放ってあったので、また借りして家でページを捲ったけれども、妙に面白い。世界的名女優の「日常」があるからなのか。
















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# by kimiyasuII | 2019-06-08 14:39 | Comments(2)
2019 06 06 専門図書館
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食堂にある小さなデスクの横に植物図鑑と一冊の小学館の伊和辞典を置く小さな書棚を作った。古い薄い樅の木の板をバロック風に切り取った持ち送り板で支えた。





















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# by kimiyasuII | 2019-06-07 14:19 | Comments(0)
2019 05 22 夜、寝込んでしまったレオを抱きかかえて二階の寝室に行く。
9時少し前の夜の散歩、夜といってもまだ外は明るいから夕の散歩と言ったほうが良いかもしれないけれども、レオと村を2,30分ほど散歩してくる。村の一本道では、すでに知り合いの犬たちと出会う。レオは犬が向こうから来ると、まずは立ち止まりジッと観察する。そして路上に伏せをする。そして待つ、相手の犬が近づいてくるのを。相手の出方を見ている。愛想がよければ立ち上がり、近づく。嫌いな犬には、立ち向かおうとするから気をつけないと行けない。
なかなか家に入りたがらないレオを入れると、家人が濡れティッシュで体を拭く。そしてその後は、家の中で遊ぶ。遊びに疲れると、家人の足下か、彼専用の椅子の上で寝入ってしまう。ぐうぐうと寝息を立てて。寝る時間になると、溺愛僕はレオを抱きかかえて二階の寝室へと上がる。レオは目を閉じたまま、僕の胸にだかれている。時々薄目を開くから、寝ているといっても完全に寝ているわけではなくて抱いているのが僕であることを意識しているしこれから本眠りをする階上に連れられていくことも知っている。
よく考えてみるとこれは凄いことで、おそらく野生の世界ではありえない。他者である誰かに完全に身を任せてしまうというような状況は考えられない。命の危険を委ねてしまうのだから。仮に寝入った動物に気づかれないように近づき触れようものなら、動物は一目散に逃げ去るか、攻撃をしかけてくるだろう。
ラファエレの聖母子像は有名だけれども、カトリックの国イタリアではあらゆるところで母子像に出会うことがある。教会にはいればもちろん、散歩していても小さな祠には聖母子像が祭られていたり、家にはしばしば聖母子像の絵が掛けられていたりする。カトリック教徒でない僕も、ベットの上には小さな木板に描かれた聖母子像が掛けられている。
聖母子像のキリストは寝ているわけではないけれども、僕は寝入ったレオを抱きかかえた時には、なんとなくこのカトリックの聖母子像のイメージが沸いてくる。だからそこに共通した何かがあるのだと思う。
子供は生まれてすぐに母親に抱きかかえられる。そして母親の乳房を探し、乳を飲む。これは真に原初的に体験だ。もちろん粉ミルクを使うことも多いし、何らかの事情で抱きかかえるのが血のつながった実の母親でないこともあるだろう。でも、生まれたばかりの子供にとって決定的に大事なことは、他者に支えられて宙に浮くという体験だ。それはまぎれもなく他者に自分の命を委ねる、他者が自分の命を守ってくれるという感情だ。
このような他者との関係、それはキリスト教的に言えば聖母子像の表現する「愛」ということになるのだけれども、それなしには人は生きることができないほどの原初的な感情だ。
キリスト教は、この「愛」のイメージを直接的な信仰の大きな柱としているけれども、これはキリスト教徒に限らず、世界中で、人間である以上は、むしろ人となるための始原的な感情のひとつと言える。このような、他者との愛、どうも僕はあまりに性と結びついた「愛」という言葉を使うのには抵抗を感じてしまうのだけれども、他者との愛の交換、それは生まれた時、すぐに母に抱きかかえられるという体験を通して始まる感情の芽生えだけれども、それが人として生きることの核心であると思う。「墜落」から自分を守って抱きかかえてくれるという感覚、感情がなければ生きることはそこで止まってしまう。日常生活のほんの些細な事ですら立ち向かう事はできなくなる。それはいつかも書いたように、見えない狼が徘徊する恐怖に満ちた森の中を歩くようなものだ。
ここ数日、日本の新聞をにぎわせている様々な不条理な殺傷事件、加害者の生きてきた「心」がどれだけ孤独なものであったかを思うとゾッとする。母親に始まる抱きかかえられる心は、父親、親戚、友人、学校、社会と徐々にその輪を広げていくのだけれども、この加害者はそのどの段階でも、誰からも支えられることが無かったのだから、それは共同体そのもののあり方に、かなりの「責任」があるはずだ。今回の事件では、自殺によって加害者は命を絶ってしまったけれども、仮に生き延び社会が死刑に処したとしてもそれは犯罪そのものに責任をもつ共同体の責任が逃れられる訳では無い。亡くなった命はもう二度と帰らないのだから。



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手前の山はカンポデイフィオーリ1227m、その向こうに見える雪山は、ヨーロッパアルプス第二の高峰モンテローザ4634m。




























# by kimiyasuII | 2019-06-05 22:35 | Comments(0)
2019 05 30 飛行機が絶対欲しい
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小学校2年生の時だったと思う。初夏、なんとなく季節も開放的な感じになっていたのだろう。僕は、母親に連れられて、呉服町の入り口にある田中屋さんという当時、静岡では松坂屋と並んで双璧だったデパートに行った。目指すは、もちろん母親が目指していたわけではないけれども、四階にあったおもちゃ売り場だった。そこには夢のようなおもちゃが所狭しと並べられていた。僕の目に、ブリキでできた大きなジェット機旅客機が目に入った。もちろんエンジンのところは赤いプラスチックでできていて、単三電池を二本入れると中にある電球が光った、と思う。どうしてもあれが欲しい、どうしても手に入れたい、あれが無ければ僕はもう生きてはいけないと思った。もちろん母親の答えはノーだ。そんな簡単に買ってくれる訳はない。もちろんおそらく当時の経済から見たらやっぱりかなり高価なものだったのだろう。僕は、全面戦争に入ることを決心した。まずは、大声で、欲しい欲しいと泣きまくる。それでも駄目ならもう座り込みだ。絶対、手に入れるまではここを動かない。僕はもう自分の人生はほとんどあの飛行機を自分のものにする事だけのためであるかのように振る舞った。もちろん、小学2年生が、自分の人生なんて考えたわけじゃあないけれども、今思えばそういう事だったのだろう。そんな戦いは一体どれほど続いたのだろう。5分なのか⒑分なのか、30分も駄々を捏ねていたのだろうか。そこに突然現れたのは父親だった。まだ当時買ったばかりの日産の丸い濃紺色のブルーバードに乗って我々を迎えに来たのだった。無口な父親はそんな僕の様子をみて鉄拳を下した。体罰が問題になるような時代でもなく、たまらなく痛いゲンコツくらいは当たり前の時代だ。たん瘤ができるくらいのげんこつはそこらじゅうで、どこの家でも飛んでいた。力をめったに行使しない父親にしては本当に珍しい事だった。僕は、痛さとともに、父親のもつ権力、力に打ちのめされた。それは圧倒的な腕力で僕を遥かに凌駕し、いざとなれば、力にものを言わせて、僕を跪かせる事のできる権力だ。その鉄拳の後、父の怒りに驚き、泣き止んだ僕に飛行機を買ってくれたのはやはり父親だった。僕は、結局その時、父と子という「関係」を学んだ。
小学二年生の僕は戦前の日本、飛行機は当時列強国が持っていた植民地、父はアメリカ、鉄拳は「原爆」、買ってもらった飛行機は経済成長、いつまでたっても父の力の前にひれ伏すのは今の日本。そんな図式がトランプ来日から見えた。
この歳になればいつまでも僕は父の子でいるわけにはいけない。父の横にならぶ一人の大人とならなければ。もう戦後70年以上経った。日本もそろそろ大人になってはと思うのは当たり前だ。



















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# by kimiyasuII | 2019-05-30 14:50 | Comments(2)
2019 05 30 VILLA PIZZO
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EPSON R-D1x CANON 135mm F3.5
対岸に見えるのはコモ湖で最も美しいVILLA PIZZOで40MMのレンズを常着しているカメラではなかなか撮れなかった。ふと、キャノンのオールドレンズ135mmがあることを思い出し、装着してみた。レンジファインダーに135mmは無理だと随分長い間眠っていたけど、こうして撮ってみると悪くはない。




















# by kimiyasuII | 2019-05-30 14:45 | Comments(0)
2019 05 21 窓辺の椅子 夕暮れ
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# by kimiyasuII | 2019-05-21 14:03 | Comments(0)
2019 05 18 窓辺の椅子
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EPSON R-D1x NOKTON40mmF1.4




















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# by kimiyasuII | 2019-05-18 23:13 | Comments(0)
2019 05 18 庭の花 6   撫子
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EPSON R-D1x NOKTON40mmF1.4


















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# by kimiyasuII | 2019-05-18 23:12 | Comments(3)
2019 05 18 庭の花 5 棕櫚
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EPSON R-D1x NOKTON40mmF1.4




















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# by kimiyasuII | 2019-05-18 22:25 | Comments(0)
2019 05 18 庭の花 葱
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# by kimiyasuII | 2019-05-18 22:23 | Comments(0)
2019 05 18 庭の花 4 黄色い薔薇
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# by kimiyasuII | 2019-05-18 22:21 | Comments(0)
2019 05 18 庭の花 3 花煙草
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# by kimiyasuII | 2019-05-18 22:19 | Comments(0)
2019 05 18 庭の花 2  乙女桔梗
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# by kimiyasuII | 2019-05-18 22:17 | Comments(0)
2019 05 18 庭の花 1
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# by kimiyasuII | 2019-05-18 22:14 | Comments(0)
2019 05 17 再生
もう15年以上前になるけれども、僕は毎日毎日、ベットに横になり木の格天井のマス目を対角線上に追っていた。昔あったヴィデオのテニスゲームのように、壁までたどりついた玉は、また対角線上に進んでいく。部屋はほぼ正方形だったけれども格天井のマス目の縦横の数は違っていたから、テニスゲームのボールは壁で跳ね返ると、マス目がずれて行き、天井すべてのマス目をなぞることができるようでありながら、いつの間にか一度たどった元のマス目に戻ってしまう。だから一度にすべてのマス目を埋めることができないのだけれども、僕はそうして約一年間を毎日ベットの上で過ごした。
朝、9時頃からは、平日は遠くから、ガッガッガという、圧搾空気で岩を砕くハンマーの音がしていた。それはおそらくかなり大きなハンマーでブルドーザーの腕の先につけられ、岩山を砕いていたのだと思う。しばらくガッガッガという音が続くと、小休止をする。そしてまたガッガッガが始まる。その音は夕方まで続き、僕は遠くから聞こえてくるガッガッガを、窓から顔を出してどこから来るのかも見ることなく、平日の一年間をベットの上で横になり過ごした。時々寝入ってしまって、目が覚めると、相変わらずガッガッガという音はしていて、僕はまた眠りにつく前の現実世界に居ることを確認することができた。
月曜日と金曜日、朝7時半には、ゴミ集めの人が、ホンダのエンジンの付いた小さなキャタピラー運搬車で365段の階段道を降りてきた。僕の住んでいた家は、湖畔のこのカステッロ通りの行き止まりにあったから、ゴミ屋さんはここまで来て、引き返すことになる。だから一度エンジンを止めて、休憩していく。3階に住んでいた僕は、窓から顔を出して、彼の姿をみることは無かった。しばらくするとエンジンの音は段々遠ざかって行き、聞こえなくなった。僕は格天井を見て、ひとりでテニスゲームの玉の行方を追う。
一日ベットで寝ていると様々な音が耳に入ってきた。こんなに人気の少ないところでも、何がしかの人気は感じた。郵便配達のあのお腹の出たあまり愛想のよくないおじさんが、郵便箱に手紙を入れるカサッという音が聞こえる。別荘として使っている人がほとんどだけれども、いつ来たのかたまには隣の家の水道の音も聞こえた。外からは鳥のさえずりも聞こえた。シーズンが始まったのかモーターボートが走り抜けていったりもした。水上飛行機が家の前に着水し、スロットルを全開にして大きなエンジンの音を立てて飛び立って行くこともあった。でも僕は、音だけに耳を立てて、そんな外の様子を見ることもなく、ベットに横たわりひたすら格天井の終わりのないテニスゲームを続けていた。
一年もそうしてベットの上で、天井を見て過ごしたのだけれども8月が来た。窓から聞こえてくる音にも人の声が目立った。下の家を借りたのは家族づれのようだ。きっと湖畔のバカンスをゆっくりと楽しむのだろう。夫婦と思える若いイタリア語ではない言葉が聞こえてくる。子供の女の子の声もした。僕は、ベットから起き上がると、強い日差しのために半分しめていた鎧戸を開けて、下をみた。そこには、小学生ぐらいの二人の女の子が居た。ショートカットをした金髪の上の子は随分元気の良い子だった。そして夏の暑い日ざしが照りつける午後になると、彼女は、毎日のように湖岸に放置してあるサーフボードのボードを引っ張り出して湖に浮かべて妹と遊んでいた。長い冬、春、夏とずっとベットに横たわって天井を見ていた僕は、8月になり、夏が終わって行く事を思うと、いつまでも寝ていてばかりではと思い立ち、水着に着替えると湖に入った。そしてバカンスを満喫しているショートカットの金髪の女の子と湖の上で、ボードに乗って遊んだ。僕は、この姉妹の水の上で遊んでいる姿を見ていると、何故か「生」を感じた。毎日、彼女たちの姿を見ることが、そして自分も湖につかり、彼女たちと2言3言、言葉を交わし遊ぶことが楽しみで仕方が無かった。でも、8月も20日過ぎたある日こつ然と、彼女達は姿を消した。オランダ人のこの家族は、オランダの家へと帰って行ったのだ。その日から、湖は突然静かになり、それはもうじき夏が終わることを僕に告げていた。
その時、僕はもうベットで横になっていることはやめよう。9月になればみんな職場に戻るように、僕も朝ベットから起き上がり、事務所に足を運ぶようになるんだと、心にイメージが沸いてきた。もう一年以上もベットで天井の升目を追ってきたのだから、そろそろ終わりにして、みんなが仕事をし生活をしている「日常」の世界に戻ろうと思った。そしてそれが出来るような気がした。ほとんど自信も沸いてきた。
こうして僕は、9月になると、それまで一年間もベットで横になり格天井のテニスをゲームセットにして、「日常」へと戻った。
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# by kimiyasuII | 2019-05-18 05:06 | Comments(0)
2019 05 14 香港に行ったとき
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EPSON R-D1x NOKTON40mmF1.4
















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# by kimiyasuII | 2019-05-14 12:47 | Comments(0)
2019 05 14 食卓
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R-D1xNOKTON40mmF1.4


















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# by kimiyasuII | 2019-05-14 12:40 | Comments(0)
2019 05 11 結構たいへん
日本、東京に来ると空いた時間をスタバでこうして本でも読んで過ごさざるを得ないけど、それは余りに別世界の時間で、結構たいへん。4拍子でまるでハンマーで頭を叩かれるような音楽、無数の囁きが集まりまるでノイズのようになった人の声、通奏低音のようなエアコンの音、他人とは考えられないほど近い、すぐ脇の人の存在、発生源の分からない高いカップの音、一見木目で、かなり不潔なメラミンのテーブル、スマホ、ガキが横に来た。そろそろ逃げないといけない。東京では、おのぼりに居場所はない。紙コップに残ったコーヒーを、プラスチックの蓋の穴からススリ、空になったら直ぐ出口に向う。ドアは自動でお帰りくださいと、放り出される。

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# by kimiyasuII | 2019-05-11 09:42 | Comments(0)
2019 05 03 ピカソ
一生に一度も絵を描いたことがないピカソは世界に何人くらいいるのだろうかと思ってしまう。もちろんピカソのような才能を持った人のことだ。生まれた家、育った環境、人との出会い、幸運などが重なって、才能が現実の作品として実を結ぶことになるのだろうけれども、その確率というのはかなり低いんじゃないかと思う。だからきっと世の中には、もう無数のピカソと同じくらいの才能をもった人がいるのに、残念ながらそれが結実せずに終わってしまう。
外からは分からない「ピカソ」を見つけることは至難の業だし、逆に折角絵を描こうとしているピカソにそれを禁止してしまう事も多々あると思う。
なぜこんな事を思ったかと言えば、日本の教育、その結果の社会というのは一度も絵を描いたことのないピカソを大量に創りだしているんじゃないかと思うからだ。子供のいない僕には、イタリアの学校がどうなのか全く知らないし、日本では親戚や知人の子供が受験が、、という程度しか知らないけれども、街で見かける子供達の様子から、なんとなくそれを感じ取ることができる。
具体的にすぐ思いつくのは、例えば一番感性を磨く年代を「学生服」で育てるような教育をしていては、アルマーニは輩出しない。茶髪問題など校則がたまらなく細かな事まで子供達に、画一性を強要しているなんて話も良く聞く。学生服を廃止するのは、子供にかなり負担だ。「自由」を与えられれば今日何を着ていくか「自分で考え」、「自分で判断」しなければならない。でもこの二つの能力を教えることが今の日本の教育に一番足りないことだと思う。管理社会を目指してマッシグラの令和日本から将来ピカソが生まれることはないだろう。学生服をやめることもできないのだから。
日本は、もう50年前の、「成長」国じゃないから、これからは成熟国としてのあり方を探っていかないといけない。未来を築くには考える力、判断する力、そしてそれを行動に移す力が必要だ。
祖国日本が絵を描いたことがないピカソを輩出し続ける国にならないで欲しいと、僕は思う。
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EPSON R-D1x NOKTON40mm F1.4
レオのくるりと丸まった尻尾は、「活力」のメーターだ。力強く、クルリと丸まっているときは元気満タン、完全に眠っているときは、棒のように伸びている。だから今は寝てるみたいだけれども半分起きている。





















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# by kimiyasuII | 2019-05-07 13:30 | Comments(0)
2019 05 05 金持ち
休日の朝、僕はレオをつれて湖畔まで散歩に行く。階段をどんどんどんどん下りて行くと、湖畔に近い湖岸に平行に走る道に出る。湖側は石の壁が続く。この壁の向こう側には、湖畔を占有している大きなヴィッラ、館があるのが普通だ。そこには数百年経った貴族の経営した別荘が建っている。でも僕は、ホテルにでも改装されていない限りそんな立派なヴィッラを見ることはできない。船に乗って湖上からそんな館を見て、自分の敷地にある長い湖岸を散歩している人を見つけると、「あ、金持ち」と、一体どんな顔をしてどんな服を着て歩いているのかと、凝視するけれども、はるか彼方の「金持ち」の姿はよく見えない。
いつものように100Mも続く壁のこちら側の道、そこはブレービオ村で僕が一番好きな散歩道だけれども、道を歩いて、お屋敷の門まで辿り着くと、立派な鍛鉄の門扉が開いている。湖上レストランのシェフだ。彼は僕を手招きして、中に入れという。まさか彼のお屋敷ってわけじゃないのに。「中、犬連れて散歩してきて良いよ。」という。「散歩が終わったら、この管理人のラウラに門を開けてもらえば良い。」という。僕は、ちょっと戸惑った。まさか彼がそんなに「金持ち」の訳はない。知り合いだからといって、勝手に他人を入れて良いのだろうか。でも僕の「金持ち」への好奇心が勝った。僕は、レオを連れて、いつか船から見たようにお屋敷の湖岸の庭を散策する人になった。正面には壁から垣間見る事ができたあの赤い家が見える。綺麗に刈られた芝。剪定された湖岸のポプラ並木。鮮やかに咲いたツツジ。壁の中はこうなっているのかと感心した。でも僕は、どうも落ち着かない。家の主人が出てきて、「お前は誰だ」と言われたらどうしよう。それにこんな空間を占有する人ほど優雅な「気持ち」も持ち合わせていない。
あの湖岸に面した小さな赤い家は船着場の家だった。家の下には船着場があり、湖から直接家に上がれるようになっている。そこまで辿り着くと、僕はもう居心地の悪さに堪らなくなった。御母屋まで行く気はとてもしない。遠くから眺めるだけで、僕は門番ラウラの居る門の方に引き返した。レオも早くこんなところは出ようと言っている、みたいだ。門番の家までもどると僕は、「ラウラっ」と怒鳴って、門を開けてもらった。
おそらく1500年代のお屋敷じゃないだろうか。コモ湖畔には無数といって良いほどのお屋敷、ヴィッラが建っているけれども、この家はかなり古い建物だと思う。不思議と建物は時代が上れば上るほど、「趣味」が良い。おそらく僕が見たヴィッラの中では一番洗練されたヴィッラだと思う。
目指したことなどない「金持ち」だけれども、こんな家を持てるなら「金持ち」も悪くないなと、僕はレオに言った。レオは他の犬のオシッコの臭いを探しまくって鼻をガフガフ鳴らし続けるばかりだった。レオは都合の悪い事を言われた時と、僕が馬鹿な事を言うときは、完全に無視する。
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EPSON R-D1x NOKTON40mmF1.4




























# by kimiyasuII | 2019-05-06 05:06 | Comments(0)
2019 05 05 湖上のレストラン
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EPSON R-D1x NOKTON40mmF1.4


























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# by kimiyasuII | 2019-05-06 04:12 | Comments(0)
2019 05 04 CAMELIA JAPONICA 日本椿
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EPSON R.-D1x NOKTON40mmF1.4

溶接のためのマスクをホームセンターに買いに行ったついでに、何気なく僕はガーデニングのコーナーを回った。沢山の赤い椿に混じって、たった一本だけ、たった一花だけ真っ白の小さな椿があった。札にはCAMELIA JAPONICAと書かれていた。一瞬、どうしようかと迷ったけれども僕はレジに向った。すると、「わたしは」という声がどこからともなく聞こえてきた。僕はもう一度、今度は確信をもってガーデニングのコーナーに引き返した。そしてこの白い椿を手に取った。
翌日、今度はガーデニングの店に行き、このCAMELIA JAPONICAに相応しい植木鉢を買った。それは余りに装飾的であってはいけないし、あまりに貧しくあってもいけないし、あまりに赤い植木鉢であってもいけなかった。そして僕は、理想の植木鉢を見つけることができた。
家に戻ると丁寧に土をつくり、この理想の植木鉢に白い椿を植え替えた。そして、どこに置こうか考えた。余り日を好まない椿のこと、とはいえ、家の北側に置いてしまっては見ることも、愛でる事もできない。僕は、食堂の自分がいつも座る席から見える、大きなタイサンボクの下に置くことにした。ここは南向きの窓でとても気に入った景色だ。そこにこの白い椿、CAMELIA JAPONICAが加わった。まるでそれが当たり前であるかのように。僕は食事のたびにこの白い椿、CAMELIA JAPONICAをみて、日本に郷愁を抱くのだろうか。それともJAPONという異国に思いを馳せるのだろうか。




















# by kimiyasuII | 2019-05-05 12:48 | Comments(0)