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イタリア

コモ湖畔の書斎から2 dalla finestra lariana2

2018 09 28 フロアースタンド
半世紀前、子供だった頃と比べて、現代って本当に人は豊かに、幸せになったんだろうかとイタリア人と話をした。技術の進歩によって医療技術も進んで寿命も延びたし、コンピューターによって随分と生活も便利になったみたいだ。それは事実としても、感覚として昔と比べてすべてのひとが本当に幸せ感をもっているとは、どうも思えない。
受け売りなのだけれども、現代人というのは、「新しさ」と「取り換え可」という二つの観念に取りつかれている。例えば、車だ。車というのは、数年乗ると、「新車」に替える。とても性能、品質のよくなった車はなかなか壊れない。5年ほど乗っただけではどこにも調子の悪いところはなくてまるで新車と変わらない。それでもメーカーは5年もすればモデルチェンジをしたり新機能を搭載して買い替えを人々に促す。
スマホも同じだ。車よりももっと早いペースでとりわけ通信が日進月歩で進んでいるネット環境では古いスマホはほとんど使い物にならない。だから2,3年もすれば取り換え、ということになる。
スマホや車などに見られる新しさと取り換え可能というふたつの様相はすべての「商品」に当てはまる。古くなったから、「新しいものに交換する」という訳だ。食品でも、これでもかという新商品が毎日毎日スーパーマーケットの商品棚をにぎわす。何十年も前から販売されている我が愛する「ペヤングのソース焼きそば」を除いて(もちろん他にも多々あります。)、商品は手を変え品を変え入れ替わっていく。
それが何故、幸せに繋がらないかと言えば、このような新商品は、買った瞬間に、手に入れた瞬間に「古く」なってしまうためだ。物理的にものが古くなるわけではない。心の問題として、このようなものは手に入れた瞬間に、次に来るべき「新しい物」への渇望のために、すでに魅力のない古いものと化してしまう。だからこの手に入れる前までは魅力あふれる「新しい物」は手に入れた瞬間に、価値をなくして、さらに「新しい物」への欲望を再生産していくというわけだ。これはもう果てしなく続く連鎖のようなもので、新しいものを手に入れれば入れただけ、欲望が生み出され次なる新しい物と「交換」されていく。そんな事は当たり前と思うかもしれないけれども、これは当たり前でも何でもなく、生活の大半ががそのようなメカニズムになり、すべての「新商品」へと「取替え」が当然の事になったのは、90年代以降、新自由主義が世界を席巻するようになってからであることには注意を払う必要がある。
建築設計をする自分としては、建築すらもこのような取替え可能の「商品」にとなったことには、何ともやり切れない思いをするのだけれども、その責任のほとんどが「建築家」にある以上は如何ともしがたい。
このような心理的なメカニズムを巧妙に、そしてあからさまに利用して発展してきた、どんどん肥大化しているのが「グローバル化した資本主義」という化け物であることを指摘する「知識人」は日本ではほとんど見かけない。
でも真の問題は、そのような肥大化する物理的な単なる消費主義ではない。もちろん単なる消費主義も現代では環境汚染問題などの形で具体的に人々の生活にのしかかってきているのだが。そのような物理的な消費主義はさておき、真の問題は、人の心がそのような固定的なメカニズム、感情のルーチンをもってしまうことだ。人との関係においても、古いものは捨てて新しいものに取り替えれば良い、という心のメカニズムが働く。職場は、憧れて入っても、入ってみれば難しいことに出会って、まあ別の新しいところで働けば良い、となる。まるで世界で唯一たった一人、と思って結婚してみたら、事情が違っていた。分かれて、新しいのを見つければ良い、となる。もちろん職場も結婚相手も確かに変えて良かったことは多々あるだろうけれども、それが「商品」に対しておこる心の動きと全く同じように働いてしまうということだ。向き合わなければならない問題は、新しいものに取り替えて済ませる、という事ではなくて、そのような難しい状況に対してどのように振る舞うかということなのだ。
これだけグローバル化が進んで、世界何処でもスタバのコーヒーが飲めるし、フェースブックを開けば世界中の人とたちどころに知り合うことができるようになったけれども、パートナー代理店は無数にあるけれども、現代人はやっぱり交換可能な新しい物にいつも追いかけ回されて、せわしない時間を駆け抜けざるをえない。
日本では、大学文系の予算を減らし、理系、技術系により予算を使うような方向で動いているようだ。考えてみれば科学技術とは「新しいもの」に「交換」していくことを価値観の中枢に据えている。「日本」を作って行きたいと思うなら、人の「価値観」を研究する文系こそにより「投資」をするべきだと思うのだけれども。


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EPSON R-D1x NOKTON40mmF1.4
数年前に古物市で買った三個10ユーロの60年台の天井付け照明器具を、ヒックリ返してみたら、随分魅力的な形をしていた。そこで3本の8ミリ径の丸鋼で足を作り、フロアースタンドとした。こいつはフロス社のどんな新製品よりも素晴らしいじゃないかと、自己満足して、「幸せ」になった。

























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by kimiyasuII | 2018-09-26 12:47 | Comments(2)
Commented by masaaki at 2018-10-02 12:43 x
ご無沙汰しています。書かれていたような事、日本比べるとイタリアでは事情が違うのかと勝手に思いますが、そうでもないのでしょうか?
Commented by kimiyasuII at 2018-10-03 01:04
傾向、としてはイタリアも全く同じです。が、日本はほぼ全員がそちらを向いてしまうのに、イタリアは根強くそっちを向かない人が、結構ゴロゴロその辺りにいて、その人たちもしっかりと市民権を持っている、という感じでしょうか。そのイタリアにも先日、第一号スタバがミラノに開きました。というテンポなので、日本とはやはり大分ペースが違います。